メッセージ
Message

小宮良の「信念」

以下、私の出自に関わる文章を読むと、可哀想だと思われる方がいるかもしれません。

しかし、私や同じような経験を歩んできた人にとっては、その人生は自分だけの物であり、それが「普通」なのです。 世界には多くの人が様々な環境で生きています。どうかこの文章を読んで頂いている方は自分の人生を判断基準とせずに、各々の「普通」を尊重していただけると幸いです。


児童養護施設出身者として
※児童養護施設とは、経済的、虐待等、様々な家庭内問題を抱える子どもを預かり立派に成長出来るよう、社会全体で育てる「社会的養護」という考え方の元、運営されている施設です。

私は、横浜市中区山手の聖坂にある児童養護施設「日本水上学園」の出身です。
6歳から10歳までの4年間水上学園で過ごし、その後家庭に戻りました。
家庭に戻った後もよく水上学園の事をよく考えていました。高校生になり、大学進学も視野に考え始めた時、児童養護施設出身者の大学進学率を調べてみました。その結果、高等教育が全入制ともいえる時代に施設出身者の高等教育進学率は2割弱(現在は3割弱)だったのです。

私はそのころから、政治に強く関心を持つようになりました。

児童養護施設から家庭に復帰し、高校生時に、父は身体を壊し、身体機能が低下し障がい者となり、私は看病しながら、通学していました。今でこそヤングケアラーと名付けられ、周知され始めてきましたが、友達と遊ぶにもアルバイトを始めるにも、当時周りに同様の人はおらず、中々理解が得られなかった苦しみを今でも覚えています。

その生活は社会人になっても続き、遂には父が国の指定難病となり、それに併せて要介護2級となった父が十分に身体機能を取り戻すまで介護するための十分な時間を確保するために退職をしました。

身体を壊し、障がい者となり、指定難病となり、要介護2級となった父を10年以上支え、様々な福祉サービスを利用してきた経験から、私が考えるようになったのは、その時々の状態に合わせて得られるサポートにムラがあるという事です。今このサポートが受けられるけど、正直今よりも本当はあの時のほうが必要だった。障がい者じゃなければ国指定難病の病気でも医療費が掛かっていた等、日本の福祉はもっと適切化できるのではないかという事を思いました。

退職した事で私には、考える時間が出来ました。その結果、私自身が政治に関わる事で直面してきた様々な課題を解決する一石を投じられるのではないかと思い、浅川事務所を訪れ2021年秋の衆院選の手伝いをすることにしました。

2022年1月、私は「日本水上学園」に児童養護施設の現状を知るため訪れました。
水上学園のような大規模施設は、現在、大変な状況におかれているという事でした。
それは、令和6年度末までに児童養護施設の受け入れ人数を減らさなければ、助成金を大幅に減らすという事のようです。
しかも、その方針は国の通告のみであったのに、後を追うように横浜市も同様に受け入れ人数を減らさなければ補助金を減らす方針をとりました。

私は心の底から「こんなのおかしい!」と考えました。国が社会的養護を必要とする子どもたちの受け皿を減らす事、ましてや国と自治体はそれぞれ独立しているのに国の方針に倣うだけの横浜市は何を考えているのかと思いました。

以上の経験から、児童養護施設出身であり、ヤングケアラーとして父を介護してきた、福祉の当事者としての私が横浜市議となれば、横浜市の社会的養護政策や、福祉の適切化を進める事が出来ると考え、横浜市議選へ挑戦する決意を固めました。